あの頃の私は、自分の心の中に「ヘドロがある」と思っていました。
いじめや職場での出来事、理不尽な言葉。
それらは心の底に沈み、ふとした瞬間に舞い上がっては、今を濁らせる。そんな感覚があったのです。
普段は静かでも、何かの拍子に視界が曇る。
過去は終わったはずなのに、身体は覚えている。
ほかのどんな言葉も当てはまらない、重く粘りつくような感覚。あの頃の私には、それを「ヘドロ」と呼ぶことしかできませんでした。
心の底に沈む「ヘドロ」とは
私たちの心の奥には、整理しきれないまま沈んでいる記憶があることがあります。
つらい出来事は、いまを生きる感覚を濁らせ、視界を曇らせてしまうことがあります。
普段は静かにその記憶が沈んでいたとしても、ふとしたきっかけで舞い上がり、心の水を茶色く濁らせることがあります。
この「心のヘドロ」という比喩は、過去のつらい体験が現在の生活に影響を及ぼす様子を、わたしが勝手にそう名付けていました。
職場で起きたこと

長年勤めた会社での異動をきっかけに、私は直属の上司から繰り返し厳しい扱いを受けるようになりました。
少人数で夜勤を回す部署では、誰かが過剰な負担を背負わなければ維持できない、不全な組織構造がありました。
やがて心身のバランスを崩し、医療的な支援が必要な状態になり、退職しました。
退職後、生活は一度落ち着きました。
けれど数年後、ふとした瞬間に記憶がよみがえり、再び心が濁る感覚が戻ってきました。
沈んでいた「ヘドロ」が、また舞い上がったのです。
医師の言葉
精神科医は、「ヘドロ」という言葉は使いませんでした。
「消そうとしなくていい。ただ、その上に新しい時間を重ねてみませんか」
そう言われました。
私は半信半疑のまま、精神保健福祉士の勉強を始めました。
新しい学びに向き合う時間が増えるにつれ、過去の記憶に飲み込まれる時間が、少しずつ短くなっていきました。
医師はこう説明しました。
「新しい記憶が積み重なると、過去は形を変えることがある」
それは単に蓋をするのではなく、堆積した時間が過去の感触を静かに変えていく、柔らかな変化でした。
精神保健福祉士になったわたしの視点から
当時の私は「ヘドロ」と言いました。
医師は、それを「消さなくていい」と言いました。
そして今の私は、こう言い換えています。
その反応は、わたしが今日まで生き延びるために、心が選び取った精一杯の「形」だったのだと思います。
つらい体験は、弱さの証ではありません。
その時を生き抜くための、ひとつの適応の結果のような気がします。
つらい体験は、その人にしかわからない苦しみです。
精神保健福祉士となって、私がしたいことは、つらい体験をしている人が、その人の時間をもう一度動かしていけるよう、伴走することだと思っています。
つらい体験を抱える人の回復のプロセス
つらい体験をした人の回復のプロセスとして、私の主治医は、つぎのようにいいました。
- 新しい体験を重ねる:学びや趣味、人との交流が「新しい砂」となり、心を覆い固めていく。
- 安心できる場を持つ:専門職や仲間との対話が、心の水を澄ませる助けになる。
大切なことは、それを無理に取り除こうとするのではなく、新しい砂を積み重ねていくこと。過去の出来事は消えなくても、それを抱えながら前に進むことは可能だということでした。
精神保健福祉士として伝えたいのは、「あなたの心の水面は、いつか必ず凪(なぎ)を取り戻す」ということです。
かつての苦しみは、消そうとしなくていいと思います。
それを抱えたまま、今日という新しい砂を、ほんの一粒ずつ重ねていきましょう。
焦る必要はありません。
気がつけば、かつての「ぬかるみ」は、あなたを決して揺らがせない「強固な地層」へと変わっています。
その地層の上に立つ今のあなたは、誰よりも優しく、強い。
精神保健福祉士として、私はそう信じています。