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「狂気」は社会が作ったのか?フーコーの哲学と精神科医の視点から考える「真の精神的健康」と終わりのない理解

「狂気」という言葉は、誰が、何を指して使ってきたのでしょうか。精神的に「健康」かどうかは、何を基準に決まるのでしょうか。

この記事では、哲学者ミシェル・フーコーや精神科医トマス・サスの議論をたどりながら、「狂気」という概念と社会の関係、精神科診断の難しさを見つめます。そのうえで、精神保健福祉士(PSW)や支援者に求められる、ご本人を理解しようとする姿勢と、ストレングス(強み)に着目する視点を紹介します。

この記事でわかること

  • 「狂気」という言葉が、社会の排除や選別と結びついてきた歴史
  • フーコーとサスの議論のあらすじ
  • 精神科診断の難しさと、「マニュアル化」の落とし穴
  • 精神的健康を「本人」と「社会」の二つの視点から考える方法
  • ストレングスとリカバリーにつながる、終わりのない理解の姿勢

なぜ人は誰かを「狂気」や「不健全」と呼んできたのか

フランスの思想家パスカルは、人間はみな狂気を帯びているとも、狂気の人など一人もいないとも読める言葉を残しました。

歴史的に「狂気」という言葉は、社会的な排除や差別のニュアンスを含んで使われてきました。この記事では、歴史や思想を語る文脈であえてこの言葉を使いますが、現在、特定の人に向けて使うことは、差別や偏見につながるため避けるべきです。

では、社会はなぜ特定の人々を「狂気」や「異常」と呼び、選び分けてきたのでしょうか。

医学モデルと社会モデルの二つの見方

精神症状を、個人の疾患としてとらえる考え方を「医学モデル」と呼びます。これに対して、「社会の側の枠組みや価値観が、狂気という見方をつくり出しているのではないか」と考えるのが、社会モデル的なアプローチです。「社会モデル」は、障害を個人の心身の問題だけでなく、社会の側の壁との関係でとらえる考え方としても知られています。

この二つの見方を知ることで、現代の精神保健福祉に欠かせない支援の姿勢が見えてきます。

「狂気」は社会が作った?フーコーとサスが問いかけた排除と選別の構造

フーコーが描いた「大いなる閉じ込め」の歴史

フランスの哲学者ミシェル・フーコー(Michel Foucault)は、1961年に刊行した『狂気の歴史』で、狂気は社会の枠組みのなかでしか存在しないものであり、自然のなかにそのまま見つかるものではない、という見方を示しました。

17世紀のヨーロッパ、なかでもフランスでは、「大いなる閉じ込め(大監禁)」と呼ばれる動きが起こりました。社会の役に立たないとみなされた人々や貧しい人々、狂気とみなされた人々などが、施設にまとめて閉じ込められたとされています。フーコーの議論では、狂気は、それを社会から遠ざけようとする側(社会の多数派や権力の側)の嫌悪や不快感と切り離せない概念として読み解かれます。

ただし、フーコーの言う「狂気」は、今日の「精神疾患」とそのまま同じ意味ではないとされています。また、「大いなる閉じ込め」の見方には、歴史研究の立場から異論もあります。フーコーの議論は、ひとつの有力な見方として読むのがよいでしょう。

トマス・サスが指摘した精神医学と社会制御

精神医学を批判的に論じた精神科医トマス・サス(Thomas Szasz)は、初期の精神病棟に、王族や貴族の都合(財産を使い果たす人物を隔離する、など)から始まった面があると指摘したとされています。サスは「反精神医学」と結びつけて語られることが多い人物ですが、本人はその呼び方を否定していました。

サスは、時代とともに、その管理する力が貴族から医療機関や精神科医へ移り、社会の秩序を保つための「社会制御(ソーシャルコントロール)」の手段として使われてきた面があると警鐘を鳴らしています。

精神科診断の難しさとは?「マニュアル化」の落とし穴

こうした歴史があるからこそ、精神科医療の「診断」や「分類」には、慎重さが求められます。

現在の精神医学には、アメリカ精神医学会のDSM-5-TRや、WHO(世界保健機関)のICD-11といった、国際的な診断基準・分類があります(ICD-11は2022年に発効し、日本では国内での適用に向けた準備が進められています)。ただし、こうした基準があっても、診察する人の主観、臨床経験、文化的な背景による違いを、完全になくすことはできません。誤診のリスクもゼロにはなりません。

精神科医の山下格氏は、著書『誤診のおこるとき』のなかで、症状をチェックリストのように機械的に当てはめて分類する「マニュアル化」の危険性を指摘しています。安易なラベリング(病名づけ)は、ご本人の個性や生きづらさの本質を見えにくくし、人生に大きな影響を与えるおそれがあります。

一方で、診断は、必要な治療や支援につなげるための大切な手がかりでもあります。診断そのものを否定するのではなく、慎重に、ご本人と一緒に向き合っていくことが大切です。

精神的健康は誰が決める?「本人」と「社会」の二つの視点

精神保健の本来の目的は、精神的な健康を保ち、豊かな人生を送ることにあります。ただし、「何をもって健康とするか」の背景には、いつも社会や個人の価値観があります。

精神的健康を考えるときは、次の二つの視点を組み合わせて見ることが役立ちます。

二つの視点:ご本人の目線と、社会・環境の目線

  • ご本人の視点(内面の望ましさ):心が安定していて、ご本人にとって生きやすく、自分らしい方向に進めているか。
  • 社会・環境の視点(適応と枠組み):周囲のコミュニティや社会活動のなかで、困りごとや摩擦が生じていないか。

陥りやすい落とし穴

「社会に適応できない=精神障害」と決めつけたり、逆に「障害があるから社会に適応できない」とレッテルを貼ったりするのは、適切ではありません。精神的健康は、固定された数値で測れるものではなく、社会の価値観との関係のなかで変わりうる、動的な状態としてとらえられます。

精神保健福祉の実践姿勢とは?ご本人と向き合う「終わりのない理解」

安易な選別やラベリングを超えて、ご本人の精神的健康を支えるには、どんな姿勢が必要なのでしょうか。

山下格氏は、診断とは、病気そのものだけでなく、その人と、その人を取り巻く環境について、必要なことを知ろうとし続ける、終わりのない努力だと述べています。その人の考えや感情、人との関わり、これまでの生活の歩み、そして社会や文化といった背景まで、広く理解しようとする姿勢です。

病名をつけて処方や管理を行うだけでなく、その人が歩んできた人生や、置かれている地域や文化を理解しようと努め続けること。この姿勢は、精神保健福祉(ソーシャルワーク)の実践にも通じる、大切な土台です。

精神保健福祉士(PSW)に求められる「ストレングスモデル(強みに着目した支援)」や「リカバリー(自分らしい生き方の再構築)」の考え方も、「一人の人間を丸ごと理解しようとする姿勢」と重なります。

まとめ:絶対的な尺度がないからこそ、地域全体で考え続ける

「これを満たせば100%精神的に健康だ」と言えるような、絶対的で決定的な尺度は、一般に存在しないとされています。そのうえで、次の3点を大切にしたいものです。

  • 歴史をふり返る:「狂気」という概念が、社会の都合や排除の構造と結びついて使われてきた面があることを、知っておく。
  • ご本人の決定と強みを尊重する:安易に「異常」「不適応」とレッテルを貼らず、ご本人の強み(ストレングス)に目を向ける。
  • 理解し続ける:ひとつの診断名にとらわれず、ご本人の背景や歴史に耳を傾け続ける。

誰かを社会の枠組みから排除するのではなく、さまざまな生きづらさを抱える人が、その人らしく暮らせる「地域共生社会」を、どうつくっていくか。一人ひとりの声に耳を傾け、理解する努力を重ねることが、誰もが健やかに暮らせる社会への歩みになるのではないでしょうか。

参考文献

  • 小林康夫ほか編『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅰ 1954-1963 狂気/精神分析/精神医学』筑摩書房、1998年
  • ギ・ソルマン(秋山康男訳)『二十世紀を動かした思想家たち』新潮社、1990年
  • 山下格『誤診のおこるとき 精神科診断の宿命と使命[新装版]』みすず書房、2015年
  • 石井厚監修『新版 精神保健 第3版』医学出版社、2016年

※本記事は、筆者が通信制大学で精神保健学を学んだ内容をもとに、医療・精神保健福祉・地域共生の視点を加えて再構成したものです。思想や歴史の一般的な紹介であり、特定の方の診断・治療・服薬の判断に代わるものではありません。医療や治療を否定する意図はなく、治療や服薬で迷うときは、自己判断で中断せず、主治医や薬剤師に相談してください。心の不調が気になるときは、医療機関や地域の相談窓口にご相談ください。内容は筆者個人の見解であり、所属する組織を代表するものではありません。

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