【解説】禅の世界:「水清徹底兮、魚行遅遅」
こんにちは。ナギです。
さっきの物語に出てきた情景は、
禅のことばで
「水清徹底兮、魚行遅遅」
(すいせいてっちけい・ぎょこうちち)
といいます。
「水清徹底兮」とは、
ただの川の水ではなく、
果てのないほど澄みきった“心の水”のこと。
その水の中を泳ぐ魚は、
どれだけ動いても、
ゆっくり、止まっているように見える。
魚が変わったわけじゃない。
変わっているのは、
“水の澄み方”のほうなんだ。
これは、心にも同じことが起きる。
心が濁っているときは、
出来事も、人の言葉も、
悩みも、速く、強く、痛く感じられる。
でも、心の水が少し澄んでくると、
同じ出来事でも、
ただ“そこにある”ように見えてくる。
悩みが消えたわけじゃない。
悩みの“見え方”が変わるんだ。
この気づきは、
次の世界への入口になる。
「風が鳴るのか、鈴が鳴るのか」
「不即事而知」
「悩みは生成されるプロセス」
レオナといっしょに、
ゆっくり歩いていこう。
参考文献
- 「正法眼蔵を読む 存在するとはどういうことか」(南直哉著、講談社)