
私たちは苦しみの中にいるとき、つい「自分の悩みは、人に話すほど重いものだろうか」と、誰かと比較して測ろうとしてしまいます。けれど、支援の現場で向き合っているのは、痛みに客観的な目盛りなど存在しないという事実です。
いのちの小さな声を聴くこと
作家・灰谷健次郎氏は、対談集『いのちの小さな声を聴け』の中で、命の尊厳は「ひりひりするような感受性」に宿ると説きました。
道路で死んだ蛙や、戦場の名もなき命に立ち止まるその視座は、
支援の現場において、言葉にならない沈黙や、喉の奥で消えた小さなため息に耳を澄ませることと、深くつながっています。
私の体験:孤立の中で聞こえた一言
五十歳を前に、私はうつ状態が続き、会社を辞めることになりました。
住宅ローンと娘の進学、不安に押しつぶされる日々のなか、
絶望が日常に溶け込み、「死」を想定することでかろうじて心の均衡を保つ、
そんな過酷な適応のなかにいました。
デイケアの場にあっても、周囲への警戒心から心を閉ざさざるを得ず、静かな孤立を選んでいました。
孤独が極まり、色彩を失った私の世界を揺り動かしたのは、
ある若者の「一緒にごはんを食べましょう」という、
あまりに日常的で、飾らない一言でした。
救いは、劇的な奇跡の顔をしてやってくるとは限りません。
ほんの少しの温度が、凍りついた生存戦略を溶かし始めることもあるのです。
聴かれることがもたらす変化
「誰かに聴かれる」経験は、ときに小さな変化のきっかけになります。
私の場合、それが専門学校へ進み精神保健福祉士の資格取得へとつながり、ひきこもりの方々やご家族の支援に携わるようになりました。
支援は大きな一挙の救済だけではありません。静かに寄り添い、話す場をつくり、孤立を和らげる小さなつながりの積み重ねこそが回復の出発点です。
社会構造と個人の痛み
灰谷氏が指摘するように、戦車で踏みつぶす行為は誰も非難しますが、自然破壊や教育のひずみのように、ゆっくりと進む問題には目が向きにくいことがあります。
だから個人の悩みを単に「個人的問題」として片づけるのではなく、社会の文脈のなかで受け止める視点が必要です。
あなたへ届けたいこと
・その痛みは、あなただけのもの。他人の物差しで測る必要はありません。あなたが「苦しい」と感じるなら、それは何よりも優先されるべき大切な信号です。
・「話す」は「放す」。 抱えきれない重荷を、一度言葉にして外に置いてみる。そんなイメージで、信頼できる誰かに今の感覚を分かち合ってみてください。
・話したくないときは、そばにいるだけでも。 私たち精神保健福祉士は、あなたの言葉を急かしません。あなたが安心して「そこにいる」ための環境を、一緒に守ることから始めたいと考えています。
支え合いは大きな奇跡でなく、日常の小さなやりとりから生まれます。
灰谷氏の言葉と私自身の体験が教えてくれたのは、聴くこと、話すこと、寄り添うことの力です。
もし今、抱え込んでいると感じているなら、その重さを誰かと分け合える可能性があります。あなたの小さな声は、届く先がきっとあります。
参考文献
・「いのちの小さな声を聴け」(水上 勉/灰谷 健次郎、新潮社)