五十を過ぎてから始まった「石拾い」が、私の心を少しずつ軽くしてくれました。
これまでに経験したことがない部署への異動、
職場での出来事が重なり、心と体が限界を知らせました。環境を変える選択をし、家族とともに神戸へ移り住んだ日々は、先の見えない時間の連続でした。
須磨の海で見つけた一つの石が、私の時間の流れを、ほんの少しだけ変えました。
海辺で見つけた小さな転機
娘に連れられて訪れた海岸で、波打ち際に光るものを見つけました。
手に取ると冷たく、透かすと青と黄が混ざった伸びやかな色が差していました。
その瞬間、ただの石が急に特別に見えました。
ズボンの裾が濡れるのも気にせず、夢中で拾い集め、家に帰っては洗い、サンドペーパーで磨きました。
磨くたびに表情を変える石の光沢は、私の胸にも小さな光を灯しました。

触れることの効用 実体験から見えたこと
石を手に取ると、まず冷たさとざらりとした感触があり、その一瞬で頭の中の騒音が静まることに気づきました。
波の音を背景に磨く作業に没頭していると、職場の出来事を何度も反芻していた思考のスピードが自然と落ち、夜も眠れるようになっていきました。
手を動かすという単純な反復が、私にとっては心のブレーキになったのです。
また、どんなに小さな変化でも自分で作り出せるという実感が、自分の中にまだ残っていた力に、気づかせてくれました。
退職後の無力感の中で、朝起きて海に行き、石を一つ磨き上げる――そんな日常の積み重ねが「自分はまだ動ける」という感覚を育て、生活にリズムを取り戻しました。
磨いた石が並ぶたびに、ささやかな達成感が胸の内を満たしました。
さらに、石を通して他者とつながる場面もありました。デイケアで石を見せると若い人が声をかけてくれ、ある男性は私からもらった石を大事に胸ポケットにしまい、「握っていると落ち着く」と言ってくれました。石を介したやり取りは、言葉に頼りすぎない、ほどよい距離感の交流でした。それは頑なになっていた自分の境界線が、少しずつ外の世界へ向けて溶け出していくような体験でした。
こうした感覚的な体験は、理論や言葉以上に私の回復を支えました。石の重み、磨く摩擦、光が差す瞬間――触覚と視覚が結びつくことで心の安定が生まれ、やがて新しい生き方へと向かう力になっていったのです。
支えがあったから続けられたこと
私一人の力だけではありません。妻が心配して見守り、娘が海へ連れ出してくれたこと、主治医が趣味を肯定してくれたこと、デイケアの場が安心して通える居場所になったこと。こうした支えがあったからこそ、石拾いを続けられ、次の一歩を踏み出せました。
精神保健福祉士の視点からの提案
小さな興味を尊重する
どんなに地味に見える趣味でも、それは回復の入り口になり得ます。支援の現場では、その人の「好き」を否定せず、続けやすい形を一緒に探す姿勢が助けになります。
行為の価値を見逃さない
繰り返しの作業や感覚的な活動は、過剰な思考からの逃避ではなく、安定を取り戻すための重要な手段です。評価や結果だけでなく、過程そのものを支えていきましょう。
家族と場の調整を並行する
家族が不安にならないよう、見守り方や支え方を共有することが、趣味継続の安心感につながります。
終わりに ささやかな希望として
石を磨くと光る。私たちの心もまた、日々の小さな手触りで少しずつ艶を取り戻します。
趣味を続けることは、奇跡のような即効薬ではないけれど、確かに「悩みを軽くする力」を持っています。
もし今、ほんの少し手を動かせそうな瞬間があれば、身近なものに触れてみるのも一つの方法かもしれません。
小さな石が、あなたの世界をそっと変えるかもしれません。